#43 カナタとアリエスの台詞が再びシンクロしてる件/洗脳/「どの考えが正しいと誰が決められる?」
『彼方のアストラ』43話の感想・考察(ときどき妄想)になります。
最終話までのネタバレを含んでいます。
カナタとアリエスの台詞が再びシンクロしてる件
気が付かれましたか!?
アリエス「大人はウソをついてるかもしれませんけど 人の感情まではごまかせませんよ(35話) 」
カナタ「あんなに楽しそうに旅してたのも全部演技だと?なめんなよ ウソの表情かどうかぐらいわかるっつんだよ」
またしてもベストカップル・・・!
ですが今回の場合考えてみればカナタはアリエスの台詞を事前にしっかり立ち聞き(笑)してたわけですから、同じような台詞になったのも偶然とは言えませんよね。
蛇足ですが、アリエスとポリ姉がこの時カナタに聞かれていたことに気づいて後日「いたんでしたら入ってきてくださればよかったものを」「アリエスちゃん気を付けて、彼、きっとストーカー気質なのよ」なんて女子トークかましてたら面白いなあ(絶対ない)。
洗脳
※今回はここからガチ考察になります。
なんでもかかってきやがれ!(笑)って奇特な方のみどうぞ。
「ボクは胸を張って言える!!なんてすばらしい人生だと」
シャルスのこの壊れっぷりには胸が締め付けられましたね。
この作品ではこれまでメンバーたちを通じて様々なタイプの不幸な子供たちが描かれてきました。
いずれの親も酷い親という点で共通していますが、そんな親に対する彼らの生き残り戦略は人それぞれでしたよね(反発したり殻に閉じこもったり達観したり距離を置いたりと)。
そしてその中で唯一これまで出てこなかった代表的パターンが、まさに最後にシャルスを通じて描かれる「親と同化してしまう」というものだと思います。
この適応法では自分の意思や感情がなくなってしまうわけですから苦しみからも解放されるかのようですが、シャルスに見るようにそれが真の解決にならないことは明らかですよね。
たとえクローンであってさえ完全な同化なんて不可能でしょうし、そもそも同化する対象が対象なのですから。
もしかしたら、一番心の闇が深いのはむしろ、一見親と双子のように仲のいいこともあるこのタイプの子供なのかもしれませんね。
「どの考えが正しいと誰が決められる?」
宗教や政治・民族・貧困にまで話を広げるともはや管理人ごときには収拾がつかなくなるので割愛しますが、こういうテーマで掘り下げていける方はぜひどんどん書いていってくださいね!
このブログでは親子関係に絞って書いていきたいと思います。
親孝行第一の生き方について。
それで親と子がお互いに思いやって幸せに暮らしていけるのであれば何も言うことはありませんが、現実には子供の方が心身ともに消耗してしまうケースも少なくないと思います。
その理由は、親を喜ばせたい一身の子供が、自分の幸せには親が喜ばないことにうすうすは気づいていながらも目の当たりにするのが恐ろしすぎるからだと思うんですよね。
「子供の幸せを願わない親なんていない」なんて口にしている親に限って本心では自分の幸せにしか興味がない、なんてことも、悲しいことですが世の中ではあるあるだと思います。
ですが、いくら育ててもらった恩があるからといって、そんな親にいつまでも自分の大事な人生を捧げ続ける必要があるでしょうか。
世の中には見渡せばまた様々な人がいます。
他にもっと健全な「与え合う」関係を築ける相手が必ずいるはずです。
もし読者様の中に心当たりのある方がいらっしゃいましたら、それこそアストラのメンバーたちのように「選択」していただくことを願ってやみません。
つい熱が入ってしまいましたね、もう黙ります(笑)。
#44に続きます。
お読みくださりありがとうございました!
親たちの言い分
カナタとアリエスの台詞がシンクロしてる件その1
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